※上部にある「私のプロフィール」で、私のことを「知って」から読むと、より楽しめるかもしれません。
私の小学生時代の自由研究は「プロフィール」にもあるように
校区内の地図を模造紙に作成
校区内のそれぞれの場所に植わっている植物の場所の地図を作成
とある河川のそれぞれの場所に生息する水中生物の場所の地図を作成
地元の神社の歴史を調べる?
という4つが記憶にある。
その中で最も大変だった自由研究が「校区内の地図を模造紙に作成」である。
私はこの年に引っ越しをして、現在の校区へやって来た。
引っ越し前の町と比較すると、引っ越し後の町は私にとってかなり田舎に感じられた。
前者は、田んぼなどは影も形もなく、高層マンションが立ち並び、国道が校区の中心を東西に横切るような場所だった。
都会と呼ぶにふさわしい喧騒、そして排気ガスの匂いが日常に存在していた。
しかし、引っ越し後の町は一変した。
そこには田んぼがあり、少し古い一軒家が並び、公園が点在し、空き地が残り、私道がくねくねと続いていた。
都会から来た私にとって、そこはまるで別世界であり、比較的「田舎」と呼べる風景が広がっていた。
そんな土地勘のない校区の全体像を知りたい。
それが、この自由研究を始めるきっかけだった。
校区内の建物の位置、人通りの多い道、そして生活の匂いを感じられる場所。
それらを一枚の巨大な模造紙に記録することが、「校区内の地図を模造紙に作成」という自由研究の内容だった。
この自由研究が完成するまでには、いくつもの段階があった。
まず取り掛かったのは、地域内を走る「大通り」の調査である。
この大通りは、いわば地図の骨格だったので、位置を間違えてしまえば、その後に描く全ての道がずれてしまう。
つまり、この通りを基準として校区全体を模造紙の中に収める必要があった。
そのため、失敗は許されなかった。
私は「大通り」を調査するため、自転車の熱々になったサドルに跨り、東西に走る「大通り」を端から端まで移動した。
この通りは文字通り、路線バスや自動車がビュンビュン行き交う場所だった。
しかも、歩道が無く、頼れるのは路側帯だけだった。
例えば、バスが私の横を通過するたび、大きな風圧で自転車ごと倒れそうになった。
と同時に、ディーゼルエンジンの煙が喉に絡みつき、思わず咳き込むこともあった。
その瞬間、普段見慣れている町が、いつもより大きく、そして少し恐ろしく感じられた。
次に、「大通り」から枝分かれしている通りを調べた。
この道は比較的数が多かった。
そして、友人の家や駄菓子屋、公園などが現れるたび、ついつい寄り道をしてしまった。
そのため、「大通り」よりも調査には時間がかかった。
次にやったのは、そこからまた枝分かれする細い道の調査である。
しかし、これらの本数はあまりにも多かった。
そこで、地域の目印となるスーパーやコンビニ、子供110番の家等、角に特徴的な建物がある道を中心に調査することにした。
そして、写真も同時に撮影した。
例えば、道端に立つお地蔵さんの石像やスーパーの看板等である。
この調査を通して、私は初めて気付いたことがあった。
それは、駐車場のあちこちにタバコの吸い殻が落ちていることである。
いつか全部拾って、綺麗な場所にしたい。
そんな気持ちも、少なからず芽生えていた。
また、大きな家の表札から住人の名字を読み取る作業もあった。
田中さんや鈴木さんなど、馴染みのある名字なら、小学生だった私でも簡単に読むことができた。
しかし、中には画数の多い漢字や、当時の私には見たこともない漢字を使った名字もあった。
夏空の下で流れる汗とは違う汗が、額に滲んだ。
最後に、自宅へ戻り、記録した情報や写真を模造紙へ移す作業に入った。
例えば、大通りを太く描きすぎれば、それに合わせて枝道も太くなり、最終的には地図全体が模造紙に収まらなくなってしまう。
そのため、何度も試行錯誤を繰り返した。
下書きを消しては描き直す。
その作業を繰り返すうち、純白だった模造紙は灰色になり、消しゴムは小さくなった。
そして、右利きだった私は、右手の小指側面を黒鉛で真っ黒に染めていた。
なんとか地図全体を紙の中に収めた時、すでに三日が経過していた。
しかし、そこで問題が発生した。
写真を貼るスペースを全く考えていなかったのである。
また消しゴムで消し、書き直す作業が始まる。
そう考えた瞬間、遊びに行きたい小学生の私にとって、それは「心底嫌」な作業に感じられた。
そこで、何とか遊びに行きたい気持ちを抑え、印刷した写真の余白を限界まで切り落として貼ることにした。
その結果、写真は想像以上に小さくなってしまった。
さらに、ハサミで切る作業は全てフリーハンドだったため、写真の枠は完全な直線ではなく、少し丸みを帯びた形になった。
最初の数枚は上手く切ることができた。
しかし、何十枚も同じ作業を繰り返していると、単調さから集中力が切れてくる。
そして、ハサミの柄が当たる右手人差し指の第二関節付近も痛み始めた。
それでも作業を続けた。
そして、夏休みの数日間を費やし、ようやく地図は完成した。
「早くみんなに見せたい」「思いっきり褒めてほしい」
そんな期待だけが、胸の中で膨らんでいた。
夏休みが終わり、私は完成した地図をクラスのみんなに見せた。
しかし、返ってきた言葉は褒め言葉ではなかった。
「きもっ」
その一言だった。
理由を聞くと、私が「校区の目印」として地図に貼った「チカン注意!」の看板の写真が原因だったらしい。
当時の私は、「チカン」という言葉を昆虫か何かだと思っていた。
まさか、それが「別の意味」を持つ言葉だとは全く知らなかったのである。
自由研究は、もちろん生徒本人が作るものとされている。
しかし、実際には親が多少協力するものでもある。
私の場合も、母には少なからず手伝ってもらっていた。
帰宅後、私は母に尋ねた。
「チカンって何?」
母は、友人たちが言っていた「そういう意味」を静かに教えてくれた。
しかし私は、思わずこう言った。
「早く言ってよ」
母は少し困ったような顔をした。
そして、小さく笑った。
模造紙に貼られた「チカン」の光沢写真は、机の隅で、夏の日差しを静かに反射していた。
私の自由研究と「チカン注意!」
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