※上部にある「私のプロフィール」で、私のことを「知って」から読むと、より楽しめるかもしれません。
小学4年生の11月、休日の小学校の体育館でバザーが開かれた。
今思えば、あれは「地域交流イベント」というような平和なものではなかった。
以下は、その時のエピソードである。
バザー前日、「家庭数」で配られた学校通信を見てみた。
どうやら、明日体育館でバザーがあるらしい。
その下には「商品例」と書かれた写真が載っていた。
白黒でとても小さい写真。
顔を10cm位まで近づけて見てみると、昭和の匂いが漂う食器、古着、折りたたみ傘…。
なんや、しょぼいやつが多いな。
その時点では、
別に行かんでもええかな。
と思っていた。
ところが、帰宅すると、母が一言。
「ドカベン全巻、500円で確保しといたで」。
そんなことやってええんか?
どうやら、PTAの特権?により、一般販売の前に、私が好きであろう商品(ドカベン全巻)を確保してくれたらしい。
その瞬間、私の脳内は「やっぱバザー行こ!」に書き換わった。
母に、
「俺、明日バザー行くわ!」
と言うと、
「混むやろし、早めに行ってきたら?」
と言われた。
そこで、いつもより2時間も早く寝ることにした。
が、寝られなかった。
明日のバザーが楽しみすぎたのか。
はたまた、いつもより2時間早く床についたからなのか。
現在ではわからない。
翌朝、朝食を3分で流し込み、「ダッシュ」で体育館へ向かった。
しかし、到着して絶望した。
子ども、ゼロ。
並んでいるのは、殺気立つおじん、オバタリアン、爺さん、婆さんなどの「地域の人」だけ。
しかも、全員が体育館の入口扉だけを睨みつけている。
毎朝通学路で「おはよう~、行ってらっしゃ~い」と優しく微笑んでくれていたマダムさんも居た。
しかし、今日はいつもの「黄色い交通安全服」を着ていない。
そして、いつもの「おはよう~」の顔ではなく、「早く開けろ!」という顔をしている。
怖すぎる。
が、小声で、
早めに寝た意味ないやん
とその場でひとりごちて強がった。
開場時間になった。
入口が完全に開き切る前に、
ドッ!
と人波がなだれ込んだ。
体育館の床を踏む音が、いつもの体育の時間とは全く違って聞こえた。
しかし、私は最後尾だったので妙に冷静だった。
こりゃ無理やな。
体育館には長椅子がところ狭しと並べられ、その上に商品がびっしりと陳列されていた。
長椅子の表面が見えないほどに。
あるオバタリアンさんは片手で服を五着鷲掴み、ヨボヨボの爺さんは両手でマグカップセットの箱を赤さんみたいに死守している。
完全に「戦場」だ。
ここには小学生のつけ入る隙などない。
私は「参戦」を半ば諦め、おもちゃコーナーへ退避した。
おもちゃコーナーに移動中、私はワクワクしていた。
レゴブロック、ラジコン、DSソフト、何が置いてあるんかな?
しかし、そこに待っていたのは…、
巨人時代の松井秀喜のバッティングマシーン、プラスチックのボーリングセット、PSPにそっくりのウォーターゲーム、色褪せた表紙の絵本。
松井ってヤンキースじゃなかったっけ?
あのボーリングピンはちっさいから一瞬で飽きるやろな。
しかも、おもちゃコーナーの商品には、どれも年月を感じさせるくすみがあった
なんか古くないか?
私には、「おもちゃ」からキラキラとしたオーラを感じられなかった。
失望した私は雑貨コーナーへ移動した。
そこには、中古の座布団、巨大な栓抜き、ルームライト等が売られていた。
しかも、値札はどれも500円以下。
当時はメルカリどころか、スマホ自体がまだ珍しかった。
が、今思い返すと、メルカリよりはるかに安い掘り出し物でいっぱいだった。
結局、湯呑みセットとルームライトを購入した。
しかし、それらは小4の腕には重すぎた。
湯呑みセットの箱を文字通り小脇に抱え、ルームライトの箱を両手で拝むようにして持つ。
何度も地面に置いて休憩した。
人生で最も奇妙な運び方で。
いつもの通学路が遠く感じた。
帰宅すると、私の部屋の前にあの「ドカベン全巻」が
どっしり!
と置いてあった。
普通なら、
「ありがとう!」
と言うべき場面である。
しかし、私の第一声は違った。
「母ちゃんもバザーに来てたんや!」
開場前、どれだけ心細かったことか。
別に一緒にバザーで買い物したかったわけではない。
ただ、「せめて」列だけは一緒に並んで欲しかった。
昼食をとる。
ラーメンをすすっていると、ふと端っこの壁に立てかけられていた商品が脳内をよぎった。
ボディーボート。
あんなデカいサイズのビート板が200円?
安ない?
当時は「ボディーボート」という単語を知らなかったので、私の中ではあくまで「デカいビート板」だった。
そこから、脳内がボディーボートで一杯になった。
やっぱりあれが欲しい。
もう一度「ダッシュ」で体育館に戻った。
横腹が少し痛かったが。
まずはボディーボートを確保した。
良かった!
まだあった!
そして体育館全体を見渡してみる。
どうやら「嵐」は過ぎ去ったようだ。
商品の数は大幅に減り、長椅子の表面が見えている。
商品は散らかされ、人々の姿もかなり減っている。
あの「マダムさん」も、もう居ない。
小脇にボディーボートを抱えた私には、矢が突き刺さった屍だけが残っている戦場跡のように思われた。
(当時、「歴史秘話ヒストリア」を見ていたので。)
私はボディーボートを抱えたまま「戦場跡」をくまなく探索した。
手作りの薄っぺらい手ぬぐい、ちゃっちい作りの缶バッジ、フレームが歪んだサングラス、塗装が少し剥がれた赤ベコの耳かき。
どれもが、開場直後にあった「湯呑みセット」や「古着」等と比べると見劣りする。
そこで私は気付いた。
「大人たち」は、ただ商品を散らかしていったわけではない。
自分に必要かどうかを吟味して、選んでいったのだ。
「探索」には1時間を要した。
バザー終了まであと30分。
その時だった。
レジにいたPTAのおばちゃんが叫んだ。
「今からタイムセールで〜す!全て半額!」
私は血が騒いだ。
半額。
この言葉の「お得感」は末恐ろしい。
私はボディーボートを一旦長椅子に立てかけ、両手で顔面を軽く叩いた。
そして、もう一度探索を始めた。
結局、巨大ボディーボート(100円)、30cm竹定規(50円)、紫色のルーペ(50円)、中古の座布団4枚(1枚5円×4枚)、スタンドライト(500円)、ジュース缶を高速回転させ急速冷却するマシン(100円)を「爆買い」した。
※当時、「爆買い」という言葉は無かった。
統一感ゼロ。
が、小4男子の買い物としては、「はなまる」である。
それらを身体全体を使って「やっと」レジに持って行く。
よいしょ。
レジのおばさんが枯れた声で、
これ全部買うん?
とおっしゃった。
私は、
はい、お願いします。
と堂々申し上げた。
おばさんは値札を赤いマーカーで塗りつぶしていく。
値札が赤く塗りつぶされるたびに、私のものになっていく気がした。
そして、持ちやすいようにボディーボートと座布団以外の商品を「いかりスーパー」の紙袋に詰めてくれた。
さらに、紙袋と紙袋の持ち手の間に、座布団を半分に折りたたんで挟んでくれた。
アマチュアが「プロの梱包」をやってくれたのである。
よっしゃ、ゲット!
私は両手で受け取って帰路についた。
帰り道。
紙袋の細い持ち手が指に容赦なく食い込む。
痛い、痛すぎる。
挟まれた座布団が滑り落ちそうになる。
おっと、あぶない。
なんとか自宅に到着した。
そして私は、リビングで何を買ったか母に報告することもなく、早速自室の机に「戦利品」を並べてニヤニヤしていた。
後日、母が言った。
「バザーで何買ったん!」
と。
叱り声で。
私は説明した。
すると、
「あんた、ボディーボート抱えて歩いとったやろ!〇〇君のお母さんが噂しとったで!」
と言ってきた。
私は、
「そうなんや」
と他人事のような返事をした。
そして思った。
地域ネットワーク、恐るべし
と。
大人になった今なら分かる。
「陸上」でボディーボートを小脇に抱え、座布団を挟んだ建築物のような紙袋を指に食い込ませながら運んでいる小学生。
完全なる非常識である。
この「バザー」を最後に、勉強が忙しくなり、私は「バザー」に行けなくなった。
そして、いつの間にか「バザー」自体が開催されなくなった。
あれから約20年。
「ドカベン」は本棚に並び、ルームライトは今も明るさを保ったまま部屋を照らしている。
リビングに置いてある「座布団」には毎日座っている。
そして夏になると、物置からボディーボートが顔を出す。
当時の私は、あの大人たちを「物欲に支配されている」と思っていた。
しかし、20年経った今なら分かる。
私も、完全に同じだった。
たった数千円で「思い出」までも購入できた。
あの日の「バザー」は、二つの意味で、人生で一番コスパが良かった買い物に違いない。

